ossos (1997)
3年前くらいに爆音上映で観た「ヴァンダの部屋」の監督、
ペドロ・コスタの展覧会が原美術館にて行われる。
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
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●Mike Kelley "ヴィデオ"
/ 2012,6,16-7.14 @ WAKO WORKS OF ART
●"美術の物語" / E.H.ゴンブリッチ http://goo.gl/NfKJ9
●"10+1" no.24 (2011) http://db.10plus1.jp/backnumber/issue/tpobibid/28/
コンビニのフィールドワークのページが面白かった。
企業側はコンビニを、地域を選ばないものとして量産してきた。
けれども、実際はある場所に立った瞬間にその地域の固有性を持つようになる。
●サイモン・スターリング 仮面劇のためのプロジェクト(ヒロシマ)
/ 制作ドキュメント http://www.hiroshima-moca.jp/simon/doc.html
●ペドロ・コスタ "casa de lava" スクラップブック http://www.cinematrix.jp/casadelava/
"extra" airi tasaki first solo show
"Extra" airi tasaki first solo show
2012 3/29(thu)-4/5(thu) 13:00-19:00
@knulpAA gallery (http://bit.ly/GWKUlC)
石神井公園駅から徒歩5分の、knulpAAというデザイン家具や工芸品を扱うお店の倉庫
knulpAA stockyardにて個展を開催致しました。
お忙しい中、御来訪頂いた皆様にお礼申し上げます。
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見たいものしかみようとしないし、見てないふりも出来る。
見たいものを妨げる何かー無意識に視界にお邪魔しているものー
どこからどこまでが自分の視界を妨げているのか。
自分が見ようとする対象の手前にある柵や、通り過ぎる自動車。
眼に見えなくても、空気、眼のレンズ、
誰かによってつくられたそれまでの歴史や物語までもが
視界を妨げていると言えるだろう。
本当にみたいものは一体なんだったっけ?
そういう時、「対象」がそもそもとてもあやふやなものであると気付く。
見ようとするもの以外にある、無意識に視界にいるものらが「対象」をつくっているのだとすれば、
私達は一度それらに目を向けてみる必要があると思う。
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◯竹内万里子「写真会議録 BRAINSTORMING vol.2 光」
http://www.a-m-u.jp/event/2011/10/zinebrainstorming-3.html
◯高嶺格「すみか―いつの間にかパッケージ化され、カタログから選んで買わされるモノになってしまった住処を、自分の手に取り戻すことを目指します」
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=855
◯連載 田中功起から保坂健二朗へ
このように範囲を広げる、あるいは限定することで、見る側から言えば「どこまでを作品の体験として許容するのか」、つくる側としては「どこまでを作品の体験として考えるべきなのか」と言い直すことができます。それによって制作や鑑賞、そして「作品」の意味が変容する。
http://www.art-it.asia/u/admin_columns/mSA30a4Mz5YPL7OV8BDi/