airitasaki

絵、観た映画、読んだ本

"extra" airi tasaki first solo show


 
"Extra" airi tasaki first solo show
 
2012 3/29(thu)-4/5(thu) 13:00-19:00
@knulpAA gallery (http://bit.ly/GWKUlC)
 
石神井公園駅から徒歩5分の、knulpAAというデザイン家具や工芸品を扱うお店の倉庫
knulpAA stockyardにて個展を開催致しました。
お忙しい中、御来訪頂いた皆様にお礼申し上げます。
 
 
 

 

見たいものしかみようとしないし、見てないふりも出来る。
 
 

見たいものを妨げる何かー無意識に視界にお邪魔しているものー
どこからどこまでが自分の視界を妨げているのか。
 
自分が見ようとする対象の手前にある柵や、通り過ぎる自動車。
眼に見えなくても、空気、眼のレンズ、
誰かによってつくられたそれまでの歴史や物語までもが
視界を妨げていると言えるだろう。
本当にみたいものは一体なんだったっけ?
  
そういう時、「対象」がそもそもとてもあやふやなものであると気付く。
見ようとするもの以外にある、無意識に視界にいるものらが「対象」をつくっているのだとすれば、
私達は一度それらに目を向けてみる必要があると思う。


 

おしらせ

東京五美術大学連合卒業・修了制作展」
2月23日(木)〜3月4日(日)
10:00〜18:00(入場17:30まで、火曜日休館)
@国立新美術館http://www.nact.jp/

アクセス
東京メトロ千代田線 乃木坂駅 改札6出口(美術館直結)
都営大江戸線 六本木駅 7出口から徒歩約4分
東京メトロ日比谷線 六本木駅 4a出口から徒歩約5分
 
多摩美の油画で作品展示してます。
メディア芸術祭と同じ時期です。


◯竹内万里子「写真会議録 BRAINSTORMING vol.2 光」
http://www.a-m-u.jp/event/2011/10/zinebrainstorming-3.html
 
高嶺格「すみか―いつの間にかパッケージ化され、カタログから選んで買わされるモノになってしまった住処を、自分の手に取り戻すことを目指します」
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=19&d=855
 
◯連載 田中功起から保坂健二朗へ
このように範囲を広げる、あるいは限定することで、見る側から言えば「どこまでを作品の体験として許容するのか」、つくる側としては「どこまでを作品の体験として考えるべきなのか」と言い直すことができます。それによって制作や鑑賞、そして「作品」の意味が変容する。
http://www.art-it.asia/u/admin_columns/mSA30a4Mz5YPL7OV8BDi/
 

卒業制作展 日程

 
卒展詳細

東京五美術大学連合卒業・修了制作展
/2月23日(木)〜3月4日(日)
 10:00〜18:00(入場17:30まで、火曜日休館)
国立新美術館 http://www.nact.jp/
 
◯2011年度 多摩美術大学美術学部卒業制作展・大学院修了制作展
/3月20日(火)〜3月23日(金)
 10:00〜18:00(最終日15:00まで)
多摩美術大学八王子キャンパス http://www2.tamabi.ac.jp/cgi-bin/pro/gw/
 

最近行った展示、読んだ本、みた映画
福岡伸一「世界は分けてもわからない」のなかで、渡辺剛の写真集<TRANSPLANT>を紹介していた。
 
トランスプラント=植えかえられた植物。
ハワイのコーヒー園など、物理的に「植え替えられた」姿を撮ったものや、
アメリカ社会の中にあるベトナム系移民居住区域の一角など、人々の生活に置き換えて撮った写真群。
 
生物学者の視点から、機能モジュールとしては切り離せない臓器
(もともと身体と部分としての「臓器」の間にボーダーは無い)を「臓器移植」することについての話。
最初は激しい拒絶反応を起こすが、だんだん新たな根を張って、共存関係を作っていく。

外来種が在来種となり、在来種が別の日には外来種になっていく事のなかに、
生命がもつ可塑性や、新しい動的な平衡点を見い出すこととかが書いてあった。

  
TURNERGALLERY"たぐりよせるまなざし"、有賀さんの作品"Alternative Plant"
普段目を向けない「雑草」に着目し、警告するような黄色と黒のゴミを使って雑草を作り、
本来生えていないような場所にも植え付けたという作品だった。
  
映画"バベル"をみた。別々の場所で起きたそれぞれのある一線を越えた出来事が、みな因果関係で繋がっているというへんな映画だった。
思ってもいなかった事が犯罪となる瞬間や、国と国を分ける国境での問題 を、言語が通じない人間同士の関係から、その境界みたいなものを描きだしていた。
 
錦糸町のギャラリー「ゲルオルタナ」の展示では、植木鉢を使用したインスタレーション
 
 
なんなんだっていうくらい「プラント」と境界・界面の話がよく出てくる日だった。
自分は日本の在来種だと思い込んで生活しているけど、実はかつて外来種だったのかもしれない。
いつから在来種になったのか。そんな境界はもう今はわからないんではないか。
自分を在来種にしたのは誰で、どんな環境で、いつ頃なんだろう。