物の消費、今和次郎、ジョルジュ・ペレック「考える/分類する」
・「考える/分類する」ジョルジュ・ペレック 著, 阪上脩 訳(2000,法政大学出版)
→著者 (1936-1982)
「物の時代」,「小さなバイク」,「さまざまな空間」,「眠る男」など
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東京の何もかもの密度の高さを改めて思ったのは、2年ほど前に札幌へ移り住んでからです。
実家のある東京へは割としょっちゅう帰ってたのですが。
空港に着いてすぐの人混みのにおいとか、都心へ近付くにつれ建物がぎゅうぎゅうに増えていく景色とか、
西武線に乗り換えるとまたのどかな景色になっていったりとか、
一軒家の前にある植木鉢・洗濯物・ブロック塀・自転車数台・瓦屋根など
一つ一つの小さい要素が、目に見えない個人〜家族〜地域の姿として風景を作っている。
札幌には瓦屋根がほとんど無いのと、雪が降ったり景観防止条例で洗濯物は外にあまり干さなかったりで
景色の中で、他人の生活がちょっと見えてしまうようなオブジェクト・物理的な情報量がとても少ないです。道も広々していて空気も乾燥しているので
湿気のモワッとした人混み臭さも全然無いし、嗅覚的な他人との距離の近さを感じる場面(満員電車とか)もあんまり無い。
カラッとした空気・広々した環境に、だいぶ慣れてきた頃に東京に帰ると、
飛行機から降りて空気吸った瞬間、なんかすごい(生態的な)情報量!!という気持ちになります。
それで、自分が住んでいた時当たり前だと思って見過ごしていた風景の一つ一つが、なんでも面白く見えてきます。
そんなあたりから、東京の情報密度ぎゅうぎゅうがつくる、凄まじい勢いで流れる「物欲」とか「消費」について、いろいろ過敏に反応していました。
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ピーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスの写真集"Airports"、
数年前に見た粘土の作品群"Suddenly this Overview"などが気になっていて、たまたまインタビュー記事を読んだ時に、物の消費について書かれていました。
ジョルジュ・ペレックの小説「物の時代」。
(http://www.art-it.asia/u/admin_ed_feature/vwpZOPsDiqGHnVF9BJfa/?lang=ja)
(...) そこで、私たちはこのたくさんの広告ページを使って誰かの生涯をまるごと表すことができるのではないかと考えました。花嫁と結婚式から始まって、ホテルでのハネムーン、妊娠、赤ちゃん、その赤ちゃんが成長してポップミュージックやスニーカーを買うティーネージャーになって、という設定で。人の生涯はその人が消費する物だけを通して表すことができます。初めて消費したのは哺乳瓶に入っているミルクだったり、ということです。
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またその別で、何か役に立ちそうかなーと思ってブレインストーミングとかマインドマップとか「思考整理術」系の本を何となく眺めていたところ、
フィシュリ&ヴァイスが言っていたペレックという人も、この関連で何か書いてるなと思って手に取りました。
難しい本かと思ってかっこつけていたら、一生懸命読んでもしょうがないというか、
「為になる」「〇〇術」ハウツー本とは程遠いもので、誰かの机の上のどうでも良いメモとか ただの思い付きを書いたカードをひたすら分類していく、みたいな本でした。
自分の為のメモ書き - たくさんの小さな要素を、細かく細かく分類し整理していく作業。。箇条書きの集積であるためか、生活を綴ったエッセイよりもずっとパーソナルなところを覗き見てしまったような感覚でした。
●−関連
・「考現学入門」今 和次郎
/下宿住み学生持物調べ(2)p219
(...) 生まれるから死ぬまで一代の間の所有品の表をつくって考えてみたならば、欲しかったものの羅列が何を語るでしょうか?それらのすべてが俺に価値があった…と思わなければならないものではないでしょうか。それでは、過去に価値があったものでも不用になったらば、速やかに捨てされよ、速やかに!でしょうか。問題は残しておくこととして、とにかく掲げた図表にこれだけの言葉をささげておきます。 (...)
フィシュリ&ヴァイス「〜人の生涯はその人が消費する物だけを通して表すことができます。」と同じようなこと言ってた。
おわり